足場鳶と足場職人
足場を組み立てる職人のことを足場鳶とも足場職人とも言いますし、単に鳶職人が足場を作っているとも言います。鳶職人は現場の華などと呼ばれ、非常に技量が高く誇りも高い職人であるということはよく知られています。他の職人とは別格というイメージがあり、そのため間違えて使ってしまうと怒られてしまいそうな気がします。しかし一般人からすると鳶職人も足場職人も同じような作業をしているように見えます。この記事では鳶職人とは何か、そして足場鳶は足場職人の歴史的経緯や分類を見ていき、これらがどのような仕事でどのように使い分けられているのかを見ていきましょう。
鳶とはなにか?
鳶(鳶職人)とは日本の建設業において、マンションやプラントなどの大きくて高いところの施工を専門とする職人です。建設現場では高所を華麗に動き回ることから、鳶は現場の華とも呼ばれます。どの業者よりも先に工事現場に入り、仮囲いを組み、鉄骨を組み、命の危険のある場所にも真っ先に入っていることから、建設は鳶に始まり鳶に終わるとも呼ばれます。
鳶職の歴史は古く飛鳥時代から存在していたという記述があります。普請業が右官・左官という名称で呼ばれていたようです。
江戸時代には冠婚葬祭や祭を担うなど、町そのものの活性化に関わってきた街に欠かせない職人として人気がありました。
江戸の花形といえば大工、左官、鳶の三職でした。当時の江戸の町は木造建築ばかりで、特に冬場は乾燥することから火事の多い町でした。火事と喧嘩は江戸の華などというように言われました。江戸時代の消火活動は、 延焼しそうな家屋を先回りして壊す破壊消防でした。そのため家屋の構造を知り尽くしていた鳶職人たちが消防組織の先頭に立ち、鳶口や掛矢を使って鮮やかな働きで家屋の解体を行っていました。災害現場において高所に立って陣頭指揮を執る鳶職の姿は江戸の人々にとって、さぞかし頼もしく神々しく見えたことでしょう。 当時の鳶職人たちは火消しが終わると、羽織の裏を返し、裏地に書かれた派手な絵模様を見せびらかしながら街を練り歩いたと言われています。
消防組織だけではなく、その他の地域の活動にも鳶職が大きく関わっていました。これは江戸時代の民政の大部分が町人の自治に任されていたということが背景としてあります。江戸は当時世界有数の大都市で流入人口も多く、 火事や地震もあり、災害活動だけではなくその後の復興の仕事も多かったことから、大工と鳶職の仕事が多く、そのため自治の現場でも大工と鳶職が大きな役割を担ってきました。鳶職が地域活動との関わりが深かったり、神事などとも関わっているのは、このような歴史的経緯に由来しています。
現在でもその名残や風習を大切にしている地域は多く、現場の華といった表現と合わせて、神格めいた雰囲気を持つ職人です。
鳶職の分類
かつて建築は木造建築ばかりでしたが、今は建築の範囲が広がるにつれて鳶職も多種多様に分かれていきました。足場鳶、重量鳶、鉄骨鳶、橋梁鳶、送電鳶などがあり、足場を作る足場鳶も鳶職という枠の中に含まれていると言えます。
重量鳶
重量鳶はクレーンを使用して重さ数十トンから数百トンにも及ぶ大型機械や工作物などを指定された位置へと正確に取り付けていきます。一つのミスが重大な事故につながりかねないので高い技術力と専門的な知識を要する仕事です。プラント・空調給排水設備・電気設備工事の一部を重量鳶が行う場合もあります。
鉄骨鳶
建築現場で鉄骨を扱う作業を担当する鳶職で、マンションやビルなどの建築で鉄骨とボルトを使って基板の骨組みを組み上げていくのが仕事になります。時には数十メートルの高さまで脚立やスライダーを使用して登り、クレーン作業で鉄骨を扱う場合も、専門性が高く危険度も高い仕事となります。
橋梁鳶
橋の工事に関わる鳶職で、他の鳶職との大きな違いは、横に伸びていく建設物を組み立てていくところです。 橋梁以外の多くの建築物は縦方向に伸びていき、縦方向に作業をするのですが、橋梁は横に伸びていくため特殊な作業が多く、他の鳶職とは違った専門知識や経験が必要となります。
送電鳶
送電用の店頭から伸びていく太い電線を扱う鳶職で、正確には送電線架線工と言います。またはラインマンとも言います。高いところでの作業ですが足場を作らずに作業を行うので、精神力と技術力の両方が必要となる仕事であり、日本では4000人ほどしかいないと言われます。 近年は担い手が少ないために送電線架線工会社は人員の確保に苦労していると言われます。
足場鳶
建築現場で必要な足場を設置する職人で、高所作業を行うだけではなく、 設置場所の状態や作業性や解体の際の効率性などを的確に判断して組み立てることが求められます。
会社組織として足場のレンタル・据付・解体を一体となって請け負っている場合もあります。
足場鳶と足場職人
以上の鳶職の分類の中に足場鳶があるので、足場を作る鳶職が足場鳶と言ってしまえばそうなのですが、 もう少し歴史的な経緯があります。
元々は日本の建築は木造建築で、高さも今と比べれば低層建築という範囲に収まっていました。 その頃の足場は丸太足場というもので、丸太を組み合わせて足場を作っていました。現在では低層に当たるとはいえ当時としては高所での作業であったことから、足場を作るのは鳶職の仕事ということになりました。
その後、建築技術が発展し、建築そのものは鉄筋化・高層化が進みます。そのためかつては木造建築の高所にはしごを使って上がっていた鳶職人は、木製の素材を鉄骨に替え、クレーンを使ったりするようになっていきました。
また足場も、戦後に丸太足場は廃れ、鉄パイプを組み合わせる単管足場が普及していきました。さらに1980年代にはハンマーで打ち込むだけで足場の作れるくさび緊結式足場が登場し、普及していきました。また、鳥居形の形をした枠を使って組み上げていく枠組み足場は、20世紀初頭に高層建築の発達していたアメリカで開発されたものですが、高層建築が日本で増えるにつれてこちらの技術も戦前より徐々に日本に輸入され始め、高層建築の本格的な普及とともに枠組み足場も普及していきました。前者は誰でも扱えるようにすることで足場のコストを下げ、後者は高層建築に対応したものといえます。
このような歴史的経緯から、 鳶職人の定義が高所で技量の高い仕事をするということであることから、比較的誰でも扱いやすいくさび緊結式足場を組み立てる職人を足場職人といい、高所で技量を要する枠組み足場の職人を足場職人というような区別が生まれてきました。
しかし高所の定義は絶対的な地面からの高さであるとは言えません。江戸時代の華やかな鳶職人たちは、今で言うところの低層建築の高さで作業していたわけですが、 だからといって彼らが鳶職人として今よりも劣っていたとは言えないでしょう。
そのため鳶職の分類の一つとして足場鳶があるという言い方も正しいですし、足場を作るのは足場職人という言い方も正しいですし、鳶が足場を作るという言い方も正しいです。そもそも未だ単管足場などが使用される現場もありますし、伝統建築などでは丸太足場が利用されることもあります。
鳶職にせよ足場鳶にせよ足場職人にせよ、高い技量と知識で安全で効率的な現場を作っていくという役割には変わりがないわけであり、その誇りの根拠をどこに置くのかという違いであると言えるでしょう。